2013年8月9日金曜日

病院の待合室でたくさんのお婆ちゃん達と見始めた平和祈念式典の初めからずっと涙が止まらない。僕達大人は、何のために生きているのか?それは明日がより良い形で子ども達に残せるようにするため。歴史は歴史だ。否定できない。だけど憎しみを教育で教えては…それは平和には繋がらない。…黙祷の時、多くの長崎市民が頭を垂れた。怨みではない。哀悼と純粋な平和への貴い想いからだ。……広島や長崎、東北、関西…日本全国…痛みを受けた土地ばかりだ。意味をこじつけるつもりはない。…しかし、そういう痛みを受けた土地からゴスペルを発信する以上は、そういう根底の想いも忘れてはいけないのかも知れない。…答えは見えてない。ただ…言葉にできない痛みと悼みの想いを、今日感じている。

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