僕がこの五年、山里でやりたかった事は、やはりブラックゴスペルの明るいグルーヴをウチの賛美に取り入れる事だった。
海外に出るのに、日本語だから、韓国語だから、中国語だから、ポルトガル語だからーーという枠組みや、区別や拒絶ほど意味の無いことはない。ましてや、英語を苦手とかーー言って、それがまかり通る事などナンセンスな話だった。
最初のきっかけは、そりゃ、『天使にラブソングを』から。特に日本のクリスチャンファミリーのクリスチャンにこの事を言うと、鼻で笑われそうな気がするのは、僕の弱い部分かも知れない。
けど、この事は変えられないし、ウソもつけない。
実際に自分でゴスペルをやろうとして始めたのは二十代後半の事。
そして、その頃の僕にブラックゴスペルの基本を教え込んでくれたのが、NYから阪神エンターテインメント経由で『ソウルバード ミュージックスクール』に来阪していたButch Heyward 氏だった。mama, Iwant to sing のミュージカルにも関わった有名な教会オルガニストだ。
当時、男性でブラックゴスペルをやろうとしていた人間はまだ多くなく、ノンクリスチャンで始めたのは僕らが初期だったはずである。
とても可愛がってもらった。
二年間で、彼が契約が切れるまで3カ月スパンのスケジュールで、This little light of mine, Oh, Happy day, Joyful Joyful, total praise, my life is in Your hands, Lean on me, melodies from heavenなどを、しっかり覚え込んだ。
これらは、僕のブラックゴスペルの芯として、良くも悪くも僕の中に染み込んでいる。
Butchさんがソウルバードから離れた頃、僕らは自分達の仲間でグループを作って、いくつものイベントに顔を出していった。そして、そのためのアドバイスをもらうため、プロコースの先生に相談したところで、理不尽なストップをかけられた。
「外部で活動するのに、ウチで習った楽曲は使わないでください」
予想もつかなかったその返答に、営利目的での活動をしていたわけでもない僕らは、その後も交渉したが、折り合いがつかずに二年半で活動を休止した。
その後、ゴスペルをあきらめきれなかった僕と、僕らの中の何人かが、別のクワイヤーに参加する事になった。こっちは毎月何らかのイベントでステージングする機会が与えられた。
場数はここで踏ませてもらったし、正直、今でもこことは交流もある。
大阪への足がもっと軽くなるのなら、定期的に参加もさせてもらいたいくらいのクワイヤーだ。
二十二年、ブラックゴスペルから始めて今に至る。サンタクロース役は間に休みも入れながらも25年を数える。
この一年間で大きな困難を抱えた。
身体も心も、周りからすると、とても辛そうに見えているだろう。
けれど、実はそんなに辛くはない。
強がりではなく、ゴスペルを唄ってる間は護られている確信がある。
ゴスペルがあるから。神様がいるからーー『大丈夫』
この確信がある限りはホント、no problem だと思っている。
今、山里で始めた英語の楽曲は『Because He lives』。
Lamb of God と同じくらいに好きになりそうな曲である。
神様がここにおられる事を感じながら、今日も僕は、ブラックゴスペルと海外のゴスペルを口ずさむのだ。
by Nicholas
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