最近自分で、よく周りを見て思うのは「手段と目的」が、いつのまにかずれてきてないか?という事です。前にパウロ牧師の飲み物の話や、イエスへのもてなしの話が、ちょうどそこに合致しますが、自分も、そうとう勘違いしてました。
それは、ステージングの時の黒い衣装にショールをかけた格好の話です。
今もじゃん!!
そう誰かに言われそうですがーーそうかも知れません。普通の姿、普段の格好では賛美できないのか?とでも言われそうです。ただ、今ではあの姿は自分の中の小さなスイッチを入れるためのもので、自分の中では整合性がとれています。
それに、それを言い始めるとーー
背広やスーツは何のためにあって、なぜ会社などで強く推奨されるのか? にも触れる話になります。ナンセンスです。
ただーー大阪時代の自分はーー。
そしてNYとテキサスのブラックゴスペルのシンガーやクワイヤーや、方向性のかなり違うショークワイヤーのに、一番最初に強く影響を受けたため、今現在の賛美とは、かなりかけ離れた気持ちで衣装を選び、歌っていました。
あのままの自分が、勘違いしたまま海外、アメリカへ渡っていたら??というテーマでも画像を作ってみました。
うーーーん。これはショークワイヤーですね。
今ならわかります。注目を浴びたい。目立ってなんぼ。そんなエゴが、共有されていましたね。
けど、姿や形にこだわる事に意味がないのなら、逆にーーこの方向性も、否定されるものではないかも知れません。
なぜってーー神様は 心を見られるからです。
私は大胆に求めます。3ヶ月前よりも、まだこの世にとどまっていたいという欲が出てきました。
アメリカとイスラエルと、まだいくつかの国を、ゴスペルを届けるために。
届けられるようになるために訪れたいと願います。
どうぞ治安がこれ以上悪くならないうちに。そして、よしんば何かが起こったときに、
生き残れるための肉の強さも与えてください。
それでももしもその時が来てしまうなら、それもハレルヤですが。
どうぞ痛みと苦しみは取り除いてくださいませね。
by Nicholas
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