2016年11月23日水曜日

昔の自分は派手でしたーー。

最近自分で、よく周りを見て思うのは「手段と目的」が、いつのまにかずれてきてないか?という事です。前にパウロ牧師の飲み物の話や、イエスへのもてなしの話が、ちょうどそこに合致しますが、自分も、そうとう勘違いしてました。

それは、ステージングの時の黒い衣装にショールをかけた格好の話です。

今もじゃん!!

そう誰かに言われそうですがーーそうかも知れません。普通の姿、普段の格好では賛美できないのか?とでも言われそうです。ただ、今ではあの姿は自分の中の小さなスイッチを入れるためのもので、自分の中では整合性がとれています。

それに、それを言い始めるとーー

背広やスーツは何のためにあって、なぜ会社などで強く推奨されるのか? にも触れる話になります。ナンセンスです。

ただーー大阪時代の自分はーー。
そしてNYとテキサスのブラックゴスペルのシンガーやクワイヤーや、方向性のかなり違うショークワイヤーのに、一番最初に強く影響を受けたため、今現在の賛美とは、かなりかけ離れた気持ちで衣装を選び、歌っていました。

あのままの自分が、勘違いしたまま海外、アメリカへ渡っていたら??というテーマでも画像を作ってみました。

うーーーん。これはショークワイヤーですね。
今ならわかります。注目を浴びたい。目立ってなんぼ。そんなエゴが、共有されていましたね。

けど、姿や形にこだわる事に意味がないのなら、逆にーーこの方向性も、否定されるものではないかも知れません。

なぜってーー神様は 心を見られるからです。

私は大胆に求めます。3ヶ月前よりも、まだこの世にとどまっていたいという欲が出てきました。

アメリカとイスラエルと、まだいくつかの国を、ゴスペルを届けるために。
届けられるようになるために訪れたいと願います。

どうぞ治安がこれ以上悪くならないうちに。そして、よしんば何かが起こったときに、
生き残れるための肉の強さも与えてください。

それでももしもその時が来てしまうなら、それもハレルヤですが。

どうぞ痛みと苦しみは取り除いてくださいませね。

by Nicholas




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