2015年8月7日金曜日

祈り 癒し 和解 そして....前進

世の中は変な方向に進んでいて、気象も国際関係も、多くの人が望まない状況に向かってる。

広島の祈念式典が今日あり、そして土曜日はこの長崎でも式典がある。
アジアの中では日本は未だに謝罪謝罪を求められ、一番良い答えが見つからない。

アメリカへの怒りを僕らの上の世代も僕らの世代も、ずっと考えないようにしてきた。

だけど「原爆を落としたのは正解だった」とか言う言葉を聴くと、爆発しそうな怒りを感じる。
逆撫でするんじゃねぇっ!という想いがザワつく。

そんな中、TVで久々にこの人の事が取り上げられた。

Clifton Truman Daniel 氏。55歳。原爆投下を決めた、あのトルーマン大統領の孫にあたる。



『原爆投下は正しい』と彼自身が人生の半分以上思ってきて...
それが、この情報ボーダーレスの時代になってきて、彼は考えを変えた。

原爆を落としたというのは、アメリカ側の立場だけからの話であって...
必須事項ではなかったという方向に変えた。

2012年には広島にも来て顕花もした。


僕らにはわからない立ち位置で長年苦しんだと思う。
人生の前半、アメリカを勝利に導いた男の孫として褒めはやされた事だろう。
それが、アフガン処理の失敗→911からはじまった 湾岸戦争 テロとの戦い イラク戦争 、その処理
その苦しみの中、アメリカは戦う事と平和への道を探す事のどちらが正しいかを考え始めた。
そして、50代より若い世代の中に、少しずつ...

原爆を落とす必要はなかった という考え方をする人々が生まれてきているそうだ。


当たり前だ。
二種類の異なったスペックの爆弾の比較実験の側面があった事を否定できる人は誰もいない。
そう。作った爆弾の威力比較実験を、生きた人間のいるこの国に落としたのだ。
米軍は。


彼は最初の来日時、記者にきかれた。

「原爆投下を決めた大統領の孫として、謝罪をする気はあるか?」
彼の答えは
「...謝罪をする選択はしない」

「謝罪する気がなければ、なぜ来た?」
彼は答えたそうだ。
「癒しと和解の道を探すために来た。」

僕はこの言葉に強く共感する。
多くの非難に立ち向かうのを覚悟した彼を支持する。


今朝からたくさんの追悼と、平和への祈り、戦争に向かう恐怖を表す番組が続いた。
わかってるのは、何事かをやった側は忘れても、やられた側は忘れきれないという事。

そこをどう癒しあって前に進むのか...そこが、やはり難しい。

今、日本は戦争に向かってるという。
僕は...戦争じゃなくっても、例えば喧嘩やイジメでも、殴られたくはない。
痛みなんかいらない。人を痛めつけたいとも思わない。

僕の中の答えは決まってる。僕からは拳はふるわない。

問題は...自分の我を通すジャイアンが、スネ夫や出来杉君が..ノビタがいるクラスで、拳を振るってきたら...
その時にどうするだろうか?

わからない。
わからない事にしておく。
けど、きっと僕は答えを決めている。

辛い。
こんな僕はやはり罪人なのだ。

TVをずっと見ながら、苦しみと悲しみと怒りと切なさが入ってくる。


僕も被爆者の血を引いているのだ。
他人事ではないのだ。


長崎に帰ってきて
山里地区のクワイヤーに身を置いた。もう5年..まだ5年。


だけど..ここにいるからできる事がある。
ここにいるからやらなきゃいけない事がある。
平和に向ける方向でできる事が、僕らにある事に感謝。

春のTV取材の時、僕の口を突いて出た言葉がある。

「長崎で出した平和のメッセージはいつか世界に届くかも知れない」

あの時も、それなりの想いはあったけど、今日、想いを新たにした部分がある。

「本気で平和を目指すメッセージを歌おう。」
「神様に平和を大胆に求めよう。」
「戦争と混沌に向かわせる意志にNOを言おう。」
違う...こんな簡単に言える言葉じゃない。

すごくグチャグチャした僕の今の想いを、神様はわかってくださる。
そこは....本気で大丈夫。

明日は平和町(爆心地周辺)の商店街の夏祭りでステージ。
そこでは僕らは希望を歌う。未来を思って歌う。
そして明後日。路上では『祈り』『癒し』『平和』への想いを込める。


僕らは弱く、備えの足らない者の集まりだけど。

どうか...どうか、My Lord, 僕らを。私たちを助け、導いてください。






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